メディア運営者や関係者は熟読して腑に落としておくべき書-「世論(上) -ウォルター・リップマン著」

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ヤッホー、超久しぶりの読書感想文だよ☆

どのぐらい久しぶりかというと、前回の記事がショック・ドクトリンで、公開が2013年4月なので、約9ヶ月ぶりに使ったカテゴリなんだよね、(・ω<)てへぺろ。

世論(上) W.リップマン

さて、軽く始まった本日の記事ですが、今回読み終えた本・・・ではなく、まだ読み終えていないので読み途中の本として、ウォルター・リップマン著の「世論(上)」をご紹介しようと思います。(上)と書いてある通り、下巻もこの後に控えています。で、上巻だけでも270ページぐらいありますが、1週間ぐらい読み続けてまだ160ページぐらいしか読めてないです。ですので、途中気になった箇所をメモる的な読書感想文なのです。

僕、自分で言うのもなんですが比較的、本を読むのは早い方なんです。今、発刊されてるようなビジネス書の類であれば2時間もあれば読み終わってしまいます。そんな僕が、なぜこの世論(上)を読むのに時間がかかっているかというと・・・

世論(上) W.リップマン

文字が小さい。そして、書いてある日本語の意味を理解するのに時間がかかるからです。日本語の理解に時間がかかるといっても翻訳が悪いわけではありません。使っている日本語は平易な物も多いのですが、解説している概念が難しいのです。言葉の並びが意味わからないので、何度も同じ部分を読み返したりしています。また、いろいろな周辺知識を得ながら読まないと表面的な理解しかできないので、愛するWikipediaなどを駆使しながら読んでます。

この本は1922年に発刊されていますが(日本語訳は1987年)、群集心理はどのように形成されるのかなど、現代におけるメディアの意義や原理を説いた本としてジャーナリズム論の古典として知られる名著だそうです。というわけで、物書きの端くれとしては読んでおかねばなるまいと思ったわけですよ。

さて、著しく前置きが長くなりましたが本題に入ります。今回僕が気になった箇所というのが「第六章 ステレオタイプ」に書かれているこの一文です。(※ステレオタイプとは・・・ものの見方・態度や文章などが型にはまって固定的であること。紋切り型。-大辞林より)

われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。 (111ページ)

要は人という生き物は自分の見たいものしか見てないし、自分の知っている範囲でしか物事を定義し認識できないということです。自分の目に入ってきた情報はそのまま処理されず、すでに自分の中にある概念に照合されて自分の認識できている範囲で具現化されてアウトプットされるということです。

書籍内の事例として

理解できない外国語を耳にすると、いつもわけがわからずチンプンカンプンで、はっきりと区切れた個々の語群をその中から聞き取ることは不可能である。 (110ページ)

羊の群を見ても、外部の者には大小とか大ざっぱな色の違いしかわかならいが、羊飼いは一頭一頭全部見分けられる。斑点の広がり方、区別がつかないほどちょっとした息づかいの違いが、素人目には見えない個別の特徴をあらわしているのである。 (111ページ)

という点が挙げられています。有名な話ではエスキモーは雪の種類を数十種類に分別しているというまことしやかな話もありますが、実は日本でも「たま雪(玉雪)」「こな雪(粉雪)」「はい雪(灰雪)「わた雪(綿雪)」「もち雪(餅雪)」「べた雪(ぼた雪)」「みず雪(水雪)」の分類があるそうです(詳細はWikipedia 雪)。昨日、関東地方に降った雪は何だったでしょう?僕は概念が無かったので、「凄い量の雪」でした。そして青森出身の友人は「こんなので大雪とか言うな٩(๑`^´๑)۶」と憤ってました。

もう一つ身近な事例を挙げると、うちの子は銀河鉄道999が大好きです。ある日、外出中に指を指しながら「あそこ、スリーナイン!」と一生懸命教えてくれました。しかしながら僕と嫁の目には銀河鉄道999の姿など全く見えずと困惑しました。子どもはなんで気付かないのかと憤慨しています。なので、指先を追いながら解説してもらった時にようやく「靴下5足999円」と書かれていた値札に気付きました。

子どもはただ単純に、自分の目で見えた「999」という文字を教えてくれていたのに、僕は自分の頭の中でイメージされていた「銀河鉄道999」の姿を探していたわけです。だから目に入っているはずの「999」の文字をまったく認識できておらず、結果として何も見えていなかったという事になったのです。

でもこういうことって生活している中で往々にしてありますよね。知識を得ること、概念を増やすことは、結局、自分の視野を広げることに繋がります。

すでにブログ記事とは思えない長さになっていますが、もう一点、本書内の面白い実験結果を引用して締めたいと思います。

ゲッチンゲンの心理学会で、たまたま一つの興味深い実験がされた。対象となったのは心理学の訓練をすでに受けているはずの会場の人びとである。

学会が開かれている会場からあまり離れていないところには、仮面武道会の宴を張る人たちがいた。不意に学会会場のドアが開け放たれて、一人の道化師が飛び込んできた。彼はピストルを手にした黒人にはげしく追われていた。二人は部屋の中央で争った。道化師が倒れると黒人は馬乗りになってピストルを撃った。そして二人とも会場から駆け出していったのである。すべては二十秒とない間の出来事であった。 (112~113ページ)

まだ続きがあるのですが、あまり長く引用するとあれなのでこの後の要点だけ解説すると、学会長はこの事件について出席者たちに報告書を書くよう支持しました。すると40通の報告書が提出されましたが、主な顛末について20%以下の誤りしか無かったのはそのうち1通だけだったそうです。14人が20~40%の誤り、12人に40~50%の誤り、50%以上の誤っていた報告書が13人だったそうです。

しかも細部の説明の10%の内容がまったくの創作だったものが24人分、捏造部分が10%を超えていたものがさらに10人、10%以下だったものが6人でした。この10%超えの10人は物語とか伝記の部類に入れても良く、24人は半ば伝説めいていたそうです。

ここで何より重要なのは「訓練されている観察者でも、(たとえ非常事態だったとはいえ)半数以上の人間が誤った事象しか認識していない」ということです。訓練されていない一般の人の目がどれだけ節穴なのかということですね。

友人でも恋人でも夫婦でもいいのですが、二人で同じ時間帯に同じ場所に行っているにも関わらず、印象に残っているポイントが全く違ったりするのはよくある話です。見ている物は一緒でも認識している内容が異なるのです。

交渉事で言った言わないのトラブルが起きるのも、そもそもお互いの概念が違っているからです。聞こえている言葉は一緒でも、認識が違うのです。だから最初におこなうことはお互いの言葉の定義(概念)の擦り合わせです。相手の概念を理解しておくことで、食い違いを減らすことができます(できるかもしれません)。

ブログなど個人の意見が発表しやすいインフラが整ってきた現在、自分の目が何を見ているのか、何を理解しているのかをしっかり認識した上で発表することが重要だと感じています。生きてきた環境が違う人が読めば誤認、誤読は当然のようにあるわけです。いかにニュートラルに自分の主張を伝えられるか、そして読み手の概念と何がずれているのかを認識しておくだけで、表現の仕方は変わってくるでしょう、きっと。

とまぁ、こんな感じですかね。

一つの章のごく一部を紐解くだけで3,000字弱というこのなんというか解説力と語彙力の足りなさなわけですが(前置きが長いのは置いておいて)、非常に読み応えもありますし、様々な角度から人間の概念や、群集心理の生まれ方、検閲とは何かという事などが解説されていますので、読書好きな人はぜひチャレンジしてみてください。720円で本当に多くのことが学べますよ。

一応、アマゾンリンクを置いておきます。

最近、僕はこの手の古典系の本を時間をかけて読んでますが、いろいろな原理が解説されているので複数の書籍を多読するよりも効率的に学べているような気がします。メモを取り、考えながら読むことで思考の粘りが出てきたような気もします。もし、最近の書籍に飽きてきた人がいれば、こういう古典を読んでみても良いかもしれません。

というわけで、がんばってせめて上巻だけでも今週中には読み終えたいと思いますです。

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