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トラブルメーカーだった私が、自戒を込めて語る『人生やり直しの処方箋』

みなさん、初めましての方もそうでない方もこんにちは!大場ミミコです。

昌利の代表書籍『ブログ飯』では、巻末のコラムの執筆も担当したので、何となく名前だけは…という方もいらっしゃると思います。

かつては、こんなブログを書いていたこともありましたが、普段はムチやボンテージの気配を隠しながら、地味な主婦として生活しています。その傍ら、色んな仕事やコミュニティに関わらせていただいてます。その活動については追い追いお話させていただきますが、色んな集まりに参加していると、ママ会・女子会・ミーティングなど、人と語らう機会が多くなりますよね。その中で、必ずと言っていいほど話題になるのが「人間関係」です。

人間が3人集まれば・・・?

さて、人が3人集まれば、派閥が出来るという話があります。個人それぞれが意見を率直に出し合えば、多数派・少数派が生まれるのは当然で、派閥が悪いわけではありません。派閥が出来るということは、むしろみんなが意見を言い合っているという健全さの目安になると私は思っています。

そして、私の参加しているママ会やらミーティングでも、明に暗にそのような現象が起きます・・・というのはウソで、私の回りには人間的に出来た人が多いようで、派閥みたいなものとはここ数年無縁な日々を送っています。

しかし、数年前の私の回りは、問題を持った人しかおらず、こと自分自身が一番の問題児で、関わったあらゆるコミュニティを破滅に導くトラブルメーカーでもありました。(嫁に行く前の)家族関係・・・特に親子関係は最悪で、嵐のようなエモーションの渦に振り回されて、本当に生きていくのがやっとでした。

お水、DV、超貧乏!波乱の20代に横たわる「親」の影

私を思い通りにしたい親、意地でも思い通りにならない私。親が「ちゃんとしたところに就職しなさい」と言えば「絶対に真逆を行ってやる」と、物書きの世界に身を投じ、親が「ちゃんと真っ当に稼ぎなさい」と言えば、「真っ当な稼ぎなんて!」とキャバクラやテレクラで食い扶持を凌ぎ、「そろそろいい人でも見つけて落ち着きなさい」と言われれば、DV男や浮気男を捕まえて苦しむ。。。

そんな具合に、私は言動だけでは飽き足らず、人生をかけて親に反抗をし続けました。子を産み、育てた今だから思いますが、親の最大の幸せは「子供の幸せ」であり、最大の親不孝は「子が不幸せでいること」です。それは、過干渉なバカ親でも、虐待を繰り返すクソ親でも、絶対的な真理です。ただ、そういう毒親達も、心に大きな傷を持っていて、その傷が独自の反応をした結果、子供の自由や尊厳を強奪する言動になってしまうのでしょう。

DVや虐待の話をするには場も時間も足りないので、一旦戻します。いつかここで披露する機会があったら、また改めて筆を取りたいと思います。

悪循環の甘い罠

とは言え、頭の中では必死に親に感謝しようとしていました。何となく、日本には「親には感謝すべき」という暗黙の流れがありますし、おしめを替えてくれたり、衣食住がある程度整った環境を与えてくれたりしたのも親が世話してくれたり、働いてくれたおかげですからね。それは分かっているんです。でも、自分でも良く解らない怒りの根っこがあるように思えて、でもその正体が解らなくて苦しみました。そして16歳の時、初めて心の問題を扱う本を手に取りました。こんな煩わしい自分に一番嫌気が差していたのは、何を隠そう自分だったのです。

「どうして自分はいつもこんな風になっちゃうんだろう?」
「感情や言動をコントロール出来ないのは何でなんだろう?」

とにかく良くなりたい。自分を好きになりたい。その一心で、心理学や脳科学、哲学や精神世界、自己啓発や占いなど、色んな本を気が向いた時に読みました。そうやって、自分の脳を少しずつアップデートしていきましたが、やがてあることに気づきます。

それは、学校でも、職場でも、必ず2つの人種に大別されるということでした。1つは「問題の渦中にいる人種」。もう1つは「平和に過ごしている人種」。問題を起こす人は、いつも問題を起こし、問題を起こす者同士で群れているのです。群れるつもりはなくても、班分けなどされると、なぜか問題を起こす人や、問題を起こす人を何とかしてあげたい人が一緒のグループになるのです。

不思議ですよね。そして私は必ず「問題を起こすグループ」に属し、自分の問題だけでも一杯一杯なのに、グループの問題にも翻弄されてしまうのです。

親とトラブル、彼とトラブル、仲間とトラブル・・・トラブル解決に時間とエネルギーを費やし、睡眠時間も取れず、心身の疲れで仕事のミスも増え、イライラしては失敗を繰り返し、ついにクビになるという悪循環をさんざん繰り返しました。

婚約者が最後に放った捨てセリフ

「私はダメな人間だ」「生きる価値も無い人間だ」そんな思いが常に頭を支配していました。お金もない、キャリアもない、信用もない、あるのはトラブルと悩みだけ。本当に死んでしまえば良いものを、その勇気もない上に諦めの悪い私は『どれだけ自分が可哀想か』を周りにアピールし始めました。こんなダメな私でも生きててOKという自信が欲しかったし、一瞬でもいいので安心を与えて欲しかったのだと思います。きっと周りの優しい友人たちは、ウソでもこう言ってくれるはず。「ひどい目にあったね」「あなたは悪くないわ」「悪いのは貴方を苦しめる人間の方だよ」と。

しかし気がつけば、私の周りに友達はいませんでした。悲劇のヒロインを気取って被害者を演じる私を慰めてくれる暇な人間などもういなかったのです。話を聞いてくれないならと、私はメールで自分が求める反応をしてくれそうな知人数人に、自分の正当性を訴え、自己弁護を繰り返し、私に冷たく当たる人間の批判を繰り広げました。結果は言うまでもなく、とうとう本当に『孤独』になってしまいました。

でも私には最後の砦・婚約者がいました。彼は私を絶対に裏切るはずがない。どんなことがあっても見捨てるわけがない。そう信じていました。しかしそんな彼も、私の元を去って行きました。

「また人のせい?また自己弁護?自分がいかに小さい人間か解ってるくせに、虚勢ばっか張って、人の批判ばかりして、そういうことでしか優位に立てないんだね、君は。」

これが彼の最後の言葉でした。呆れたような、哀れんだような視線を私は今も覚えています。それは同時に、私の第二の人生の始まりでもありました。私の元からすべての人が去り、いよいよ私は自分が『心を病んでいる』と認めざるを得なくなったのです。30歳を目前にし、私はカウンセリングやヒーリングを受け始めました。そして、自分の人格形成に家族関係、特に両親との関係が大きく影響していることを知りました。そして一旦、東京から実家に戻り、何年もかけて問題を解決してきました。

マウンティング野郎の悲しきバックボーン

駆け足ですが、友人にも夫にも語ったことのない私の身の上話をさせていただきました。どうでしょう?あなたの周りにもいませんか?かつての私のようにトラブルばかり起こして、何でも人や環境のせいにして、やるべきことを先送りにして、愛想だけ良くて、才能もスキルもないくせにやたら自分を大きく見せようと頑張っている人。ライバルや成功者のアラを見つけて、物知り顔でジャッジをし、さも自分の方が出来る人間だと思わせるようにマウンティングしてくる人。

でも案外、周りにはバレちゃってるんですよね。そういう人のペラッペラな中身や実力は・・・。騙し切れてると思ってるのは本人だけで、他人はちゃんと分かってるんです。

先にも書きましたが、波乱万丈の人生や、悪いパターンを繰り返している人というのは、必ずと言っていいほど『親(保護者)』との関係に問題があります。ちょっと専門的な話になりますが、人生のパターンが脳にインプットされるのは0〜6歳と言われています(人によっては、胎内時やそのもっと前から始まっている場合もあります)。つまり6歳までに、あらかたの思考回路が出来上がってしまうというわけです。恐ろしいですね〜!

ヘイ!ミスター・チルドレン!

小さな子供は、生きていくために保護者に依存します。つまり、親が全てであり、神なのです。ですから、親の考えを受け入れ、期待に応えなければなりません。大人になった今でこそ「そんなことないってば。大人になったら自分で判断して生きられるよ」とアドバイスしたくなりますが、小さな子どもはそんな理屈が通用しません。

そうやって、親や保護者の影響を受けて、人格は作られていきます。ある者は親の理想に沿うよう頑張り、ある者は媚びて庇護を求め、ある者は抗うことで存在感を発揮していきます。とにかく「親に見捨てられる」ことが、子供にとっては何よりも脅威なのです。

色んな角度で、子供は親の興味を引こうと必死になります。しかし、親はいつも子供が期待する通りのリアクションをするとは限りません。他に兄弟だっていますし、親には親の世界がありますからね。でも子供は、そういう事情が解りませんから「見捨てられた!」とショックを受けます。そのショックは、脳内の然るべき場所(また別の機会に説明します)に格納され「自分が悪い子だから(無価値だから)(無能だから)、親は自分を見捨てたんだ」という誤った認識となり、その後の人生に相当な影響を与えます。

そこで形成された思い込みは、大人になってから役にた立たないばかりか、自分の成功を妨げるパターンの元凶となります。この幼い記憶のことを、専門用語で「インナーチャイルド(心の中の子供)」と言ったりします。興味のある方はググッてみてください(丸投げ)。

チャイルドは、いつも泣いています。もしくは、ものすごく怒っています。それは、小さいころの痛みを心の奥底に追いやり、フタをして閉じ込めてしまったことへの怒りや悲しみでもあります。チャイルドは、あなたに一刻も早く見つけてもらうのを待っています。でも忙しい日々を送る私達は、チャイルドの存在にすら気づきません。すると潜在意識は、あなたがチャイルド…つまり、未消化な悲しみや怒りがあることに気づくよう促します。それが、人生の様々な局面で起こる『試練』というヤツです。

すべてはうまくいっている

人生のバットループにハマってる人というのは、幼少期に大きな傷を負った人が、それを大人まで放っておいた人ということになります。そして、森羅万象というのは実に精巧に出来ていて「心の傷があることに気づいて下さい」というメッセージを、現実として目の前に起こしてくれます。

それでも見て見ぬふりをして感情を味わい切らないと、「まだこの人には響かないのかな?じゃあもう少し強めの現実を起こそう」と、さらに良くない事態を引き起こします。それでもまだ気づかないと「あれれ?まだ伝わらないの?じゃあもっとヒドイ現実を・・・」と、延々と同じパターンが繰り返されていくのです。

ですから、私は多くの人に言いたいんです。「厄介な火種を他人に振りまき、世間に迷惑をかけて、被害者ぶって地団駄を踏んでいる大人が多く存在しますが、その人達は自ら望んでこういう状況に陥っているのです」と。

自分もそうだったから分かるんです。自分が満たされないのは、外側が与えてくれないからだと思い、周りを責めて罪悪感を植え付けようとしますが、原因は本人の内側にあるのです。今この瞬間も、彼らのチャイルドは「早く僕を見つけて!」と声にならない叫びをあげています。内側の穴を、外側からの承認で埋めようとしているから、いつまでたっても問題が解決しないのです。

問題ではありません。「課題」です

だから、そんな人に関わってしまっても「私がなんとかしてあげる!」と思ったり、彼らに責められて「何にもできない自分がもどかしい」などと思わなくていいのです。これは、彼らに与えられた課題です。問題ではなく「課題」です。課題はクリアすることで、次のステージに行くことができます。ということは、逆に彼らにとってのチャンスでもあるのです。次のステージが近いから、昇級試験を受けていると考えてもらえば良いと思います。

試験中の彼らは、あまりに痛々しいのでつい手を貸したくなりますが、そんなことをしたら彼らの成長の芽を摘み取ってしまいます。彼らの成長のためにも、ここはグッとこらえて遠くから見守ってあげましょう。そして自力で課題をクリアにした時、やっと本当の意味で自立することができるのです。だから彼らが元々持つ力を信じて、そのまま放置してあげて下さい。

そして「ここまではあなたに協力できますが、ここから先は私に踏み込まないで下さい。ここから先は自分で何とかしてください」という境界線をしっかりと示すことが必須です。それが、そういう人種と関わってしまった時の一番のポイントです。

人生、怖いことと恥ずかしいこと以外、やる意味がない

正直、こういう活動をするのはとても勇気の要ることで、できればムチを振るっているだけのポップなキャラクターでいたいと願っていました。でも同時に、いつかはやらなきゃいけない事だと、うっすら予感もしていました。今までも、幾度とそういうチャンスがありましたが、見て見ぬふりをしてきました。

でも、いつまでもコソコソしてるのは辞めようと覚悟を決めました。「人生、怖いことと恥ずかしいこと以外、やる意味はない」と、今まで夫のマサオを鼓舞してきましたが、そう言っている私が恐れと恥ずかしさから、この活動を遠ざけてきたと気づいたからです。

いつも周りに迷惑をかけ、無駄な事にエネルギーを注ぎ、勝手に自滅した人間ですが、そんな経験をしたことのある私だから出来る『禊(みそぎ)』の1つだと思っています。

これからどうなるかは分かりませんが、流れのままに流されていこうと思います。今後もみなさま、よろしくお願いしますm(_ _)m。