気付いていたら相当な染谷マニアなんですけど、実は僕、毎年メインの業務を変えてるんですね。
2016年は地方創生、2017年はコミュニティ(オンラインサロン)運営、2018年は出版、そして2019年は筋トレ…じゃなかった複業(副業・兼業含む)です。
2016年の始まりにこんな記事を書いてました。
この記事の要点はというと、
コンフォートゾーン(居心地のいい場所)にずっと居たら現状維持か停滞、いや周りが前進しているのであれば後退でしかないんですよね。ぬるま湯状態からは何も新しいモノは生まれません。人が一番腰が引けることに取り組むことに意味があるんです。
という点です。とかいいつつ、この記事以来、積極的自撮りはやってないんですけど。
自撮りが重要なんじゃなくて、自分の属する環境を意識的に、定期的に変えるということが重要だということが言いたいんですよ、ハイ(自撮りしない言い訳)。
現状維持は衰退の始まり
僕が常々気をつけていることがあります。それは「周囲が後輩ばかりになっている状況は危険信号」ということです。
周りが後輩ばかりということは、年齢や能力、所属年数など、なにかしらの項目が一番上に居るということです。上位のポジションに居るということは、周囲からチヤホヤされたり、いろんな人が寄ってきたりするでしょう。本心かどうかはわかりませんが。
その状態に慣れてしまうと、新たな刺激を求めなくなるんです。チヤホヤされてた方が気持ちいいですから。
またも過去記事の紹介なんですが、こんな事も書いています。
いつまでも先輩面していて新しい知識や経験を得ないでいると、一瞬で追い抜かれてしまいます。
なぜかというと、次世代はそもそもOSのバージョンが違うからです。僕とかの世代は所詮Windows 95、メモリ2GBぐらいのマシンスペックで、ヒーヒー言いながら灰色の脳細胞を動かしてるんですよ。
それが今の20代はmacOS 10.14 Mojave、メモリ32GBとかでノンストレスでアプリを使いこなしています。
人間(動物)は時代に合わせて進化しています。その理由はシンプルで、時代に適合しないと生きていけないからです。
例えば、プロ野球選手やサッカー選手などのスポーツ選手。間違いなく過去より現在の方がスペックが高いです。飛距離やスピード、テクニック、選手生命の長さなど、間違いなくレベルが上がっています。トレーニング理論やマシンの性能、栄養学など、さまざまな要素がバージョンアップしてるからですね。
ブログ界隈も一緒です。僕らの時代よりも、今の世代の人たちの方が結果が出るスピードが圧倒的に早くなっています。それはテクノロジーの進化、ノウハウ・ナレッジの充実化にもよります。そして今の若い人たちはデジタルネイティブ世代だということも挙げられます。
僕が社会人になりたての20年前はPhotoshopでちょっと画像いじるだけで、処理時間が数十分かかってました。今なんて数秒です。そもそもPhotoshopなんて必要なくて、スマホのアプリで画像加工なんて瞬時にできてしまいます。
新しい世代の人たちはそのテクノロジーを使いこなしています。その時点で、僕ら世代よりバージョンが上なんです。その認識をしておく必要があります。先輩のプライドなんてまったく役に立たないんですよ。
いつまで居心地の良い場所で裸の王様を演じますか?
自分のコミュニティから一歩外に出て新参者になる
僕はよく「カテゴリを跨げ」と言っていますが、隣接するコミュニティに足を運ぶことで、新たな知識や経験を得ることができます。
「みんなが知っている」状態から「誰も自分のことを知らない」という状態に変化させるのはストレスになることでしょう。自尊心が傷つく人もいるかも知れません。それでも勇気を出して、別の世界に進まないと時代遅れの人になっちゃいます。
あなたの周りにもいますよね、時代遅れの人。
一歩踏み出して、新しいコミュニティで自分のノウハウを提供し、重宝がられたことはありませんか?
僕の場合は「情報発信」がメインのスキルですが、世の中で自在に情報発信できる人なんて本当に一握りなんですよ。自分のノウハウを提供し続ければ、2つ目のコミュニティでも中心的役割になれます。
そのコミュニティで学んだことを自分のコミュニティに活かすことで、新しい風を吹き込むことができます。
2つのコミュニティを行ったり来たりするのも良し、3つ目のコミュニティに新たな知見を得に行くのも良し。とにかく滞留しないことを意識することで、衰退を避けられます。
年長者は老害ではない
「学びを得に行くと、教えてやろうおじさん的な面倒くさい人が居るんでしょ?」と思っている人もいます。
確かに面倒な人がゼロかというとゼロじゃないんですが、決して面倒な人ばかりではありません。知識量も経験量も多く、現役でバリバリ活躍している人は概ね謙虚で親切です。誰かに教えることで自分が再勉強でき、そして若い意見を素直に聞くことが自分の能力向上に繋がることを知っているからだと思います。
どちらかというと、学びを止めてしまって、過去の遺産で生きている人の方が横柄だったりします。学ぶ事を止めてしまった=聞く耳を持たないわけで、自分の中の正解を押し付けてくる感じです。
かなり前に「鏡の法則」というメソッドが流行りました。自分の前に現れる人物は写し鏡だという教えですね。もしかして周りに老害が溢れてるの、あなた自身の問題かもしれませんよ。
自由度と移動力
僕は自由度というものは認識の幅に依存すると考えています。人間は知っている範囲からしか選択できない生き物で、その選択の幅が広ければ広いほど自由だということです。
では認識の幅はどうしたら広がるかというと、それは知識と移動の量に比例します。日本一周する、世界一周するといった物理的な移動力はもちろん、書籍を読んだり、講座に出たりして知識を身に付けることも立派な移動力です。
自分が経験している、あるいは他者の経験(歴史)を学んでいるから、視野が広がり、選択肢の幅が広がります。進む方向を選ぶことができるようになれば、自分の意志で生きている時間が増えていきます。結果として人生の自由度が上がるわけです。
僕はよく「知っているけどやらないことと、知らないからできないことはまったく違う」という話をします。知識を保有したうえで、やるかやらないかを「自分の意志できちんと選択している」ことが重要なのです。
自分で選んでいる生き方と、誰かの判断に流されている、あるいはそもそも選択肢があることすら気付かない生き方では1年後のポジションは大きく変わってくるでしょう。
新しいことを始めるのに勇気なんて必要ありません。必要なのは知識と、ちょっとだけの行動力です。一度動き出せば、自転車のように、転げ落ちる雪玉のように加速度が増していきます。ぜひ一歩、前へ踏み出してみてください。