人間の幸福感ってどこから生まれてくるんでしょうね?
最近、僕は年明け早々2つの買い物をしたのですが、それぞれ約20,000円と約300円でした。金額的には大きな差がありますが、どちらも購入して心から良かったと思えるアイテムです。
20,000円だった文庫屋大関のふくろう財布
僕は毎年、財布を買い換えているのですが、今年は文庫屋大関のふくろう財布を選びました。
この財布は文庫革(播州姫路で生産されるため姫路革とも呼ばれる)という真っ白な革を使用し、職人さんが革揉み、型押し、彩色、錆入れ(漆塗り)、仕立てをおこなうという、完全手作りの製法になっています。一つ一つ手塗りなので、こんなにも色鮮やかなふくろうが表現できるわけです。ちなみに両面とも同じデザインです。
何度見てもうっとりする財布です、ふくろうかわいいよ、ふくろう。嗚呼、幸せ。
内側はシンプルな仕上げになっています。カード入れは6箇所、小銭入れも付いています。
なお、2~3年前に買った猫の財布がこちら。さすがにくたびれてますが、修理(塗り直し)も受け付けてくれるそうなので、また直して使おうとも思ったんですが、やはり心機一転買い換えました。
こちらに購入直後の綺麗な様子が載っています。嫁氏の日本橋という財布も素敵です。
文庫屋大関のオンラインショップとスタッフブログはこちら。
って、公式ブログの方には、となりのトトロとのコラボ財布や、七福神、金閣寺、清水寺、江戸の御殿山、見猿聞か猿言わ猿などなど、魅力的な柄が満載じゃないか。全部欲しい全部欲しい全部欲しい。
ちょっと前まで幸せと思っていても人間の欲望ってキリがありませんね。
300円だったカインズのソムリエナイフ
僕、赤ワインを好んで飲む人なんですね。
で、今まで生きてきて何本のワインのコルクを仕留めてきたか数えきれないんですが、コルクは毎回変わりますがソムリエナイフ(ワインオープナー)ってなかなか変えませんよね。例えば年間100本飲んだとして、5年間ひたすらコルクをキュポンキュポン抜いていたら、ソムリエナイフには500回もの負荷がかかるわけです。
さすがにそこまで酷使しているとワインの縁に引っかかる部分(ボトルオープナー)が削れて上手にコルクを引き抜けなくなったり、コルクに突き刺すねじねじ針(コルクスクリュー)の根本がガタついてコルクを引き抜きづらくなってくるわけです。
というわけで新調しました、300円で、大量生産品のソムリエナイフを。
いや、これ、すごいの。なんでもっと早く買い換えなかったのかと思うぐらい快適にコルクが抜けるんですよ。嬉しくて嬉しくて普段1日に1本しか飲まないワインを2本3本といってしまいそうです。カインズを訴えたくなるレベルです。
これさえあれば何もいらない幸せ。あ、いいワインが欲しくなるかな。
金額では比較できない幸せ
で、ダラダラと1000字以上書いてようやく本題なのですが、人間の幸福度って金額に比例しないなとふと思いまして。
まだ2万円の財布なんて現実的ですが、銀座のグッチに行くとコートが50万円とかしたり、有楽町阪急のトム・フォードに行ったら吊るしのスーツが60万とか平気で値付けされてたりします。これを高いと思うか安いと思うかは人の価値観次第なのですが、本当に欲しいものを手に入れた時って達成感や所有欲やお金を使ったという実感やさまざまな感情が入り乱れて幸福感に繋がるんでしょう。
夏の暑い日に飲む喫茶店の一杯のお冷、これって無料ですよね。でもすごくありがたいし、染み渡るし、ついもう一杯お願いしますなんて言っちゃうわけです、すぐに注文したアイスコーヒーが来るのに。
商品やサービスの価格って作業量や材質、ブランド代などから結果的に設定されるもので、利用者の満足度とはリンクしないんですよね。20,000円の財布を買っても幸せ、300円のソムリエナイフを買っても幸せ。でもこの2つの幸福感って同じものではないんです。いや同じものなのかな。よくわかんないや。
それよりも僕の中で重要なポイントは、値段じゃなくて好きな物、欲しいと思ったものを選べる自由度なんですよね。金銭も含めた心の余裕が無いと躊躇なく選べないんですよ。枯渇してないって本当に重要なんです。選べる幸せってなかなか実感することはありませんが、日常生活でも普通におこなわれている行為ですよね。
さ、人間の幸福感ってどこから生まれてどこに消えていくんでしょうね?
(結論をまったく出さないまま1,994字も読ませてしまった・・・、3連休の初日なのに申し訳ない、申し訳ない)