先日書いたブルー・オーシャンという言葉に対する誤解と思い込みについてという記事が思ったより反響があったので、二匹目のドジョウを狙ってまた勝手に思い込んでるイメージとは実は違うんだぞシリーズを書いてみようと思います。
今回の書籍は福沢諭吉先生の「学問のすすめ」。学問のすすめというと「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉があまりにも有名なので、「ああ、やっぱり平等っていいよね」って印象を与えがちですが、実はその先に大切な内容が書かれているというお話です。というわけで、学問のすすめをしっかり読んだことがある人にとっては当たり前のお話なのでそっとブラウザを閉じてください。
読んだこと無い人は青空文庫でも出てるので、無料で読むこともできます。
当時の文章で読むのが大変な方は現代語版も出ています。多少、記述が違うというか意訳になっている部分もありますが、大枠を掴みたいのであればこちらでも良いかも(僕が持ってるのは絶版になり、文庫版で再販になったようです→学問のすすめ (PHP文庫))。
で、ようやく本題ですね。確かに福沢先生は初編の最初に「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と述べています。でもこの文章には下の句があるんです。
それは
人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。
ということ。
人間には生まれながらにしては同じ身分で、尊いとか卑しいとかの差別はない。しかしながら今の社会では、賢い人が居たり、愚かな人が居たり、貧しき人、富める人、身分の高い人、低い人もいて、生き方に雲泥の差がある。それの理由は明らかで、学問の力があるかどうかで決まっていると述べているんですよね。
そして難解な古文を読んだり、和歌を楽しんだりするような学問ではなく、実生活に役立つ学問を習得しろと述べています。そのためにどうしたら良いかが書かれているのが第二編以降になっているんです。
もし、福沢先生は平等の大切さを主張していて素敵だなぁと思われている人は、ぜひ再読してみることをお薦めします。
まぁ、もっと深読みしちゃうと、その学問を極めるためには我が慶應義塾大学で学び給えと読み解くこともできるんですけどね…。