知覧の地で学んだ特攻隊の真実と徳を積む生き方について

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この間、鹿児島県の知覧(南九州市)に行ってきまして。この知覧という街は太平洋戦争末期の沖縄戦で、本土最南端の特別攻撃隊の出撃地となった地です。

そもそもなんで知覧に行くことになったのかというと、僕の友人に笑顔セミナーという研修を主宰している諏訪ゆう子さんという方が居まして、もう10年近く前ですかね、僕や嫁氏が事務局として1年ぐらいお手伝いしていた時期があったんです。その後、僕や嫁氏も仕事や育児で忙しくなって、ゆう子さんも個人向けのセミナーよりも企業研修向けのプログラムを増やしていって、なかなか会う機会も少なくなってしまいました。

うちの息子氏が1~2歳の頃、久々に再開した彼女が興奮しながら「すごい所に行った!これはみんなで学びに行くべきだ!!」と熱っぽく語りました。その地が知覧だったんです。それから年2回ペースで計12回、知覧で合宿研修をおこなってたんです。

僕らも育児や仕事が落ち着いたら行くねと言いながら、6~7年が経ちました。そんな時、ゆう子さんは今年2015年7月1日に癌で41歳という若さでこの世を去りました。後から聞いた話なのですが、末期癌に侵された身体でもこの知覧研修は続けていたそうです。それだけ大切に思っていたんですね。

自分の身が病魔に蝕まれてまでも続けた知覧研修。その想いは妹が引き継ぎ、今回の知覧研修が企画されました。これは絶対に行くべきだと思い、家族三人で申し込んで鹿児島まで行ってきたわけです。

僕はもともと歴史に興味がある類の人間ではないのですが、この旅(研修)に行って、なんでこんな大切なことを知らなかったんだろうと恥じました。もしかしたら自分には関係無い、興味ないと思ってブラウザを閉じようとしている人もいると思います。でも、10分かからない文量ですので、できれば読んでもらえると嬉しいです。

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そうそう、鹿児島空港では黒柏木由紀姫が出迎えてくれました。

特攻隊の遺品や遺影など貴重な資料が展示されている知覧特攻平和会館

まず最初に行ったところは知覧平和公園、そして飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料や戦闘機などが展示されている知覧特攻平和会館です。館内の展示品は全て撮影禁止となっているので会館の外の写真しかありませんが、いくつかピックアップして載せておきます。

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こちらが一式戦闘機の「隼」。2007年に公開された東映の「俺は、君のためにこそ死ににいく」で使われた機体ですね。


俺は、君のためにこそ死ににいく

日本の戦闘機といえば零戦が有名ですが、零戦は零式艦上戦闘機(海軍)の略称で、以降、陸軍の一式戦闘機(一式戦)から四式戦闘機(四式戦)と数字が大きくなるほど新しい機体となっています。

なお、特攻に使われていた戦闘機は旧型の零戦や一式戦がほとんどだったそうです。

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こちらが特攻が決まった隊員が宿泊した三角兵舎を復元したものです。2~3日後には必ず命を落とすと分かっている20歳前後の若者たちが、この三角兵舎で食事をしたり遺書を書いたりしていたそうです。20歳って僕の半分しか生きてないんですよ。そんな彼らはどんな気持ちで家族に向けて手紙を書いていたんでしょう。

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こちらが知覧平和観音。世界の恒久平和を祈念するため、旧知覧飛行場跡に特攻平和観音堂を建立して観音像を安置しています。

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そして知覧特攻平和会館。この建物の中には特攻隊員の写真、遺書などの遺品約4,500点、遺影1,036柱などが展示されています。展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館の初代館長板津忠正氏(元特攻隊員)が集めたものです。1~2時間かけて館内をくまなく見ていたのですが、自筆の遺書などを見ていると彼らの大きな使命感を感じました。

館内奥の視聴覚室では毎時0分からDVD、あるいは語り部による特攻の解説がおこなわれます(30分程度)。ぜひこれを聞いてから館内を回ることをお薦めします。

なお知覧特攻平和会館の公式ホームページのデジタルアーカイブでも、各種資料の一部を閲覧することができます。これらを見てから、実物を見に行っても良いかもしれません。

命令されたからという理由で特攻なんてできないはずなんです。そこには犠牲心だけじゃなくて、「自分の大切な人を守りたい」「未来の日本を守るために役立ちたい」という若い、純粋な想いがあって、だからこそ飛び立っていけたんだと語り部は言っていました。

特攻の母 鳥濱トメさんの孫、鳥濱明久さんが語る特攻隊の真実

知覧は太平洋戦争末期、沖縄への上陸作戦を敢行している米軍艦隊に対して20歳前後の若者達が250kgの爆弾を飛行機に搭載して敵艦に体当たりをしていった「陸軍特別攻撃隊」最大の特攻基地となっていました。そんな特攻隊員から母親のように慕われた女性が軍の指定食堂「富屋食堂」の女将である鳥濱トメさんでした。

トメさんは出撃前の特攻隊員から本心を聞き、真の姿を見て、彼らが笑ってお国のために出撃した訳ではないと語り続けていました。トメさんは1992年に享年89歳でこの世を去りましたが、孫である鳥濱明久さんがその意志を継ぎ、のべ60万人を超える人たちに隊員の真実の声を語っています。

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講演は知覧特攻平和会館近くの会議室でお聞きしたのですが、その後、戦時中、実際に三角兵舎があった場所や、特攻隊員が戦闘機から最後に見たであろう開聞岳の近くに行きながらお話をお伺いすることができました。

内容的にはこの2つの内容が準じていると思うので、ぜひリンク先をご覧ください。

なお、この中の宮川三郎軍曹の話は、高倉健さん主演のホタルという映画で実写化されています。


ホタル

明久さんは講演、現地での説明、そして懇親会とご一緒させていただいたのですが、その中で非常に心に残った事を仰っていました。

すごろくをやっていて1か2が出たら残念だと思ってします。でも決してそんなことなくて、間違いなく進んでいるじゃないですか。皆さんには明日はあるんです。過酷な時代に生きた彼らには明日すらなかったんですよ。

という言葉です。沁みますね。明久さんはトメさんの「真実を間違って伝えてはならない」という意思を引き継ぎ、今日も語っていることでしょう。

富屋旅館三代目女将の鳥濱初代さんが伝える「とく」の話

富屋食堂を切り盛りしていた鳥濱トメさんが、戦後、遺族や生き残った人たちが知覧を訪れた時、泊まるところがないと困るだろうという気持ちから、特攻隊員たちが当時訪れていた建物を買い取って、来訪者を泊めていました。それが「富屋旅館」の始まりだそうです。

今回の旅行(研修)では、みんなでこの富屋旅館に泊まって初日に感じたことのシェアと大宴会をして、翌日の朝には富屋旅館三代目女将の鳥濱初代さんの講話をお聞きしました。初代さんの講話も明久さんと同様に、戦争を美化するわけではなく、鳥濱トメさんと特攻隊の若者たちとの交流をそのまま伝えようとしています。

この富屋旅館は企業の研修旅行の一つとして利用されることも多いそうなのですが、その中で「とく」という漢字を掌に書いてくださいと言っているそうです。鳥濱トメさんは「善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くこと」という言葉を残しています。

「徳」を大辞林で引くと

精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。

と書かれています。

道徳や美徳、人徳など、人としての品性をいかに磨いていくかが重要だと述べているんです。躾という字も身を美しくと書きますが、当時は美しく生き、徳を積むことが大切にされていました。

でも現代では「徳」ではなく「得」の方が大切にされているのではないでしょうか。まず最初に損得勘定ありきで、誰かのためという気持ちは薄くなっているのではないかと女将は言っていました。僕も「徳」ではなく「得」で動いていることがあるかもしれません。おそらく普通に生活していると損得勘定なんて無意識におこなってしまうので、日々気をつけて生きようと身が引き締まりました。

余談ですが「しめい」と書いてもらうと、「氏名」とか「指名」が先に出て「使命」という言葉がなかなか出てこない時もあるんですって。日常生活で命を使うなんて深く考える機会は数少ないと思いますが、「使命」を感じながら毎日を過ごしている人とそうでない人ではまったく違う生き方になるんだろうなぁと感じました。

富屋旅館の歴史や鳥濱トメさんが伝えてきたこと、そして鳥濱初代さんが伝え続けていることはこの書籍にも掲載されていますので、興味のある方はぜひどうぞ。読みやすいので1~2日もあれば読みきれると思います。


なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか

富屋旅館では一般の宿泊客にも、女将のスケジュールが合えば講話を聞くこともできるそうなので、もし予約される際はその辺りの確認もしておくと良いかもしれません。

現地に行くことの意味

僕、こう見えて中学時代はそこそこまじめに勉強してたんですよ。だから特攻隊があったということも知っているし、多大な犠牲を払って現在の日本は成り立っているという表面的な知識は持っていたんです。

でも歴史の教科書や文献に書いてあることってほんの一部なんですよね。現地に足を運んで、現地の人の生々しい話を聞くことで得られる気付きは絶対にあると思います。ここまで詳細に、隊員一人ひとりの名前や手紙を目のあたりにすることによって、本やインターネットでは知り得なかったリアルな想いを感じ取ることができるわけです。

特攻隊が居なければ九州上陸作戦が決行されて、もしかしたら現在の日本の形態では無かった可能性もあったわけです。そんなことって学校じゃ詳しく習わないですよね。いや習ったのかもしれないけど腐敗したシナプスが。だからこそ、現地で生の声を聞いて、自分の今後の生き方に反映させることが重要なのではないでしょうか。

個人で知覧に行くのもいいでしょう。僕みたいに何かのご縁の中で知覧に行くのもいいでしょう。とにかく一度、当時の若者たちの想いを感じてもらえれば幸いです。

なお、毎年4月と11月に今回のような知覧研修がおこなわれる予定になっています。この研修ツアーであれば、鳥濱明久さんや鳥濱初代さんの講話も確実に聞けると思いますので、興味のある方は僕にご連絡いただければお繋ぎします。

あ、そうそう、ずっと真面目な語り口で書いてきたので、最後ぐらいは知覧茶屋(富屋食堂を引き継ぐお店)のおすすめメニュー、から揚げ御膳の写真でも置いておきますね☆

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