1月4日ですね。仕事始めですね。
全然、去年の仕事も納まっていないので、まったく年始という気持ちの余裕も生まれず、熨斗を付けて溜まっているお仕事をどなたかに差し上げたい今日このごろですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
さて、最近の世の中にはWin-WinだとかGive&Giveだとか、他者にお金でも労力でも知識でも愛情でもとにかく与えることで、それが大きくなって自分に返ってくるという教えというか論説というか、風潮があります。僕もの考え自体には特に異論はないのですが、まったく見返りを期待せずに純粋にただただ「他人に与える」という行為ができる人ってどれだけ居るんでしょうね。おそらくGive & Takeぐらいが現実的なのではないでしょうか。
とは言っても、もう四十も超えている年齢ですから、やっぱり僕も何かしらの価値を提供できる人になりたいわけです。なんか格好良いじゃないですか、Giftって響き。で、考えたんですよ、どうやったら見返りとか意識せずに第三者に与えられるのかって。それが今回の記事タイトルになっている「自分が充分に満たされているからこそ、他人に分け与える心の余裕が生まれる」ということなんです。
他者に提供する行為・厚意って、満杯のコップの縁から溢れでた水のようなものだと思うんですね。
心の満足度も、金銭面も、知識も枯渇していたら、そこそも他人に与えようなんて気持ちは生まれないはずです。自分が生きていくだけで精一杯なわけですから。
おそらく他者に対する要求が強い人ってここに位置すると思うんです。「あなたのお金が欲しい(奢って欲しい)」とかストレートにいう人は少ないですが(訂正:ごめん居た)、「あなたの知識が欲しい」とか「あなたの時間が欲しい」とかってよくありますよね。あなたの時間が欲しいとストレートには言わないかもしれませんが、相談に乗って欲しいとか、的外れな持論を長々と聞かされるというのも時間泥棒の一種です。
その枯渇状態に少しずつ水が注がれていくことにより、他者への配慮が生まれてきます。でもこの時点で無理に与えようとすると負荷になり、決してプラスの方向での価値の提供にはならないでしょう。最初の方に書いたGive & Takeという言葉がフィットするかもしれません。
精神面も、知識量も、健康面も、金銭面も満たされグラスから溢れるようになったら、この溢れる雫こそが見返りを求めない与える心なわけです。Win-WinやGive&Giveという状況は、この自分が満たされて、さらに第三者に余裕の部分を提供することで生まれる現象でしょう。
僕って基本的に報酬貰い下手な人なんですが、この心のグラスを満たすために、今年は予算がある企業さんからはしっかりとお金を頂いていこうと思います。
そうそう、今回の記事とはあんまり関係ないかもしれませんが、染谷の講演窓口がどこだか分からないという問い合わせを幾つか頂いたので、記事の最後に置いておきますね。
話すテーマはインターネットの集客がメインなのですが、ご要望に応じていろいろとカスタマイズしますのでご相談ください。講演依頼ページにも書いているのですが、地域活性に関する団体の場合は予算のご相談も受けますので、お気軽にお問い合わせください。