「私って価値がありますか?」トラブルメーカーだった鬼嫁が語る、親と観念と私(前編)

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みなさん、明けましておめでとうございます。鬼嫁こと大場ミミコです。

前回の記事は、勢いに任せて「ワーーー!」っと書き殴ったせいか、タイトルに冠した『人生の処方箋』を書き忘れてしまいました(汗)。処方箋を期待して読んで下さった方々、本当に申し訳ありませんm(_ _)m。

トラブルメーカーだった私が、自戒を込めて語る『人生やり直しの処方箋』
みなさん、初めましての方もそうでない方もこんにちは!大場ミミコです。 昌利の代表書籍『ブログ飯』では、巻末のコラムの執筆も担当したので...

じゃあ、今度こそ処方箋を書くぞ!・・・と言いたいところですが、もう少し人間の心の構造について掘り下げてみたいと思います。なぜ人は同じパターンを繰り返すのか?その原因はどこにあるのか?人格はどのようにして作られるのか?・・・これらの疑問を、鬼嫁と一緒に解き明かしていきましょう。

怒りはどこからやってくるの?

皆さんは幼少期~思春期に、どのような家庭環境で育ってきましたか?人間は『環境の生き物』と良く言われますよね。生まれ育った環境が、人間の人格や思考パターンを作っていくというアレのことです。

環境は、その人の『観念』を作っていきます。観念とは「~べき」「~ねばならない」という思い込みの事です。例えば、電車の中で座り込んで化粧しながら騒ぐギャル達を見ると怒りが湧くのは「公共の場では静かにすべき」「ルールは守るべき」「女子はしとやかであるべき」「化粧は人前で慎むべき」という観念があるからです。

そのうえ私たち現代人は、その観念に縛られ、我慢を強いられた生活を送っています。本来人間は、無垢で自由な存在として生まれてきます。しかし、しつけや教育、社会のルールやメディアなどの影響で、不自由な人生を強いられます。なので、何の断りもなく、あっさりと自由な振る舞いをやってのける人を見るとカチンときちゃうんです。俺がこんなに我慢してるのに!!・・・みたいな。

また、我慢度が強かったり、我慢をさせられた時に負った傷が深いほど、観念の度合いが強く・多くなる傾向があります。つまり、より多くの現象や人間が怒りのターゲットとなってしまうのです。ということで、観念が強い人・多い人は、ストレスをや生きづらさを抱えていることが多いのです。

神様からのアメとムチ

ametomuchi

では、観念は一体どのように作られるのでしょうか。例えば、先ほど書いた“公共の場では静かにすべき”という観念を持つ人がいるとします。でも、その人は赤ちゃんの頃から「公共の場で静かにするぞ!」と思っていたわけではありませんよね。おそらく、小さい頃に追いかけっこをしたり、言い分を通そうとして騒いだ時に親や年長者から「公衆の面前では静かにしろ」と躾けられたり「うるさい!」と叩かれたのではないでしょうか。

または、電車やバスで大人しく過ごせた時に「よく我慢できたね〜!」と頭を撫でてもらったり、ご褒美を買ってもらった経験があるのかもしれません。このように、幼少期の記憶や感情が、信念・観念の種となっていきます。

こうすれば褒めてもらえる。こうしたら叱られる。叩かれる。無視される・・・水族館のアシカは、芸をすると調教師から小魚をもらい、失敗すると無視されますが、基本的には人間も同じです。しかも人間の赤ちゃんは、馬や牛のように生まれ落ちた時から立てませんし、歩くことも出来ません。

寝ることと泣くことしか出来ない人間の赤ん坊は「親の介助なしには死んでしまう」ということを本能的に知っています。ということで、前回の記事に書いた「親=神」という思い込みは、人生のかなり早い時点で生じます。そして、その後成長しても「親=神」という感覚は、心の土台となって人生に横たわります。その土台に、様々な経験・・・正確に言うと“経験して感じたこと”が記憶として積み重なり、人格や観念が作られるのです。

私って価値がある?ない?

人間は、生存本能を持っているので、基本的に心地よさや安心・安全を求め、苦痛や不快を避けるように出来ています。ですので、甘えたい盛りにしっかり甘えられる、安全で愛に溢れた環境で育つと「私は価値がある」という観念が育ちます。優しくされるのも愛されるのも、その子にとっては当たり前なので、人に愛や優しさを与える子に育ちます。

反対に、親から厳しく躾けられたり、罵倒されたり、見捨てられたり、甘えられなかった環境に育った子は自己価値を持ちにくく、他人や世間からの評価でその価値を補完しようとします。また、過保護や過干渉な親のもとに育った子供も、同じように無力感や無価値観を抱きやすい傾向があります。

親からちゃんと認められていないという欠乏感は「自分は不完全な人間だ」という観念となり、完璧を求めて頑張り続けたり、逆に「完璧でないなら意味が無い」と引きこもったり、何事も続かなかったりします。相手にも完璧を求めるので、人間関係も破綻しやすく、どうしても波乱万丈な人生となってしまいます。

また、価値のない自分を見たくないので、仕事や恋愛に過剰にのめり込んだり、自らアクシデントに飛び込み、心身を痛めつけたりします。価値のない自分に罰を与えてチャラにしたい心理や、傷つくことで親や他人の興味を惹きたいという心理が働くからです。

過剰な承認欲求と、見捨てられ不安

実は、認められなかったと思っているのは子供だけで、親はあなたを愛していたし、認めていたというケースが多いのも事実です。しかし、子供は「自分が悪い子だから愛されないのだ」と勘違いしてしまう生き物です。両親が味噌汁の味で喧嘩をしていても、母親が財布を失くして落ち込んでいても、子供は自分のせいだと思うことがあります。「あの時僕が悪い子だったから、ママが泣いてるんだ」と誤解してしまうのです。

誤解をそのままにしておくと、その子は「認められたい」という観念が強まっていき、「見捨てられ不安」とペアで現れるようになります。たくさん認めて欲しいし、見捨てられたくないから、人の期待に添えるよう頑張ったり、いい子を演じたり、見栄を張ったり、おどけて人を笑わせたり、これ以上傷つかないように存在感や感情を消したりします。

恋もお金も仕事も、うまくいかない原因は同じ

つまり、人生の主役は自分自身であるはずなのに、他人や世間の評価が主役になってしまうわけです。これを専門用語で「他人軸」といいます。

他人軸の考え方は、他人と比べてどうなのか、世間からどう見られているかが基準となります。なので、いつも人の目や評価が気になりますし、人から良く見られる事が原動力になります。そして常に、誰かや世間と比較・競争し、自分を認めてもらえるよう、見捨てられないよう足掻き続けるのです。

「他人」「世間」と書きましたが、実はその根っこは「親」です。本当は、親に認められたかったし、親に見捨てられるのが怖かったのです。その満たされなかった思いは、仕事、上司、友達、恋人、結婚相手、子供などに投影されます。つまり、ダメンズやパワハラ、金欠病、依存症などの問題は、親にきちんと認めてもらえなかった傷が疼いている証拠でもあるのです。これが、前回の記事でも触れた「インナーチャイルド」の正体です。

(後編へ続く)

次号はドキドキのクライマックス!

いかがでしたでしょうか?あれもこれもと、思いつくままに書いていたら、ワード文書15枚くらいになってしまったので、冗談や余談はガッツリ消しました。そんなわけで、ひとっつも笑いポイントのない、ガチマジな記事になってしまいましたが、後編もまだまだこの調子で行きますよ~!!

前編は、観念や心の土台の作られ方を解説しましたが、後編は、鬼嫁の生まれ育った環境や体験を交えて、より深いところまで人間心理を探っていきたいと思います。家族や職場などの色んな人を思い浮かべながら、楽しく読んでいただけたら嬉しいです。

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