人間の目がいかに節穴で、人間の脳がいかに情報を排除しているか


昨日ですね、うちの息子氏が学校でとてつもない作品を作ってきまして。

スタマリ応援旗

おおう、これはSNS的にオイシイと思ったんですが、1つ見慣れない単語がありまして。それが左下のウルユス。「ウルユスってなに!ウルユスってなに!!」って息子氏を問い詰めたら、「STARMARIEのライブで描いてあったよ☆」って。

え、なにそれなにそれ?確かにこないだのスタマリワンマンライブはセットが組まれてたけど、東洋医学的な人体を描いた板やバス停やスモウレスラーぐらいしか無かっただろうて。

というわけで、専属カメラマンの甲斐さんでこいさんの画像データを見なおしてみたところ

blindness01

ウルユス

blindness02

ウルユス

blindness03

ウルユス

blindness04

ウルユス

blindness05

はあぁ…スタマリかわええ…。

じゃなくて、しっかりとウルユスって描かれてます。僕はスタマリのステージや目立つ看板しか記憶に残っていなかったのですが、子どもの目や脳はフラットなので、しっかりと見えたものを記憶してるんですよね。ある程度年齢を重ねると余計な情報は自動的に排除されてしまうんです。人体図の印象は残っているのに、その上に書いてあるウルユスの記憶は存在しないんですよ。 
 
以前に世論の書評を書いたのですが、その記事でもこんなこと書いてました。

うちの子は銀河鉄道999が大好きです。ある日、外出中に指を指しながら「あそこ、スリーナイン!」と一生懸命教えてくれました。しかしながら僕と嫁の目には銀河鉄道999の姿など全く見えずと困惑しました。子どもはなんで気付かないのかと憤慨しています。なので、指先を追いながら解説してもらった時にようやく「靴下5足999円」と書かれていた値札に気付きました。

子どもはただ単純に、自分の目で見えた「999」という文字を教えてくれていたのに、僕は自分の頭の中でイメージされていた「銀河鉄道999」の姿を探していたわけです。だから目に入っているはずの「999」の文字をまったく認識できておらず、結果として何も見えていなかったという事になったのです。

このように人間は勝手に目に思い込みというフィルタを掛けて世の中を見ています。自分で書いたことすら、意識を向けないと思い出せないんですよ。この記事書いていたら昔にスリーナインのこと書いたなぁと思って、ブログ内検索してようやく記事を見つけ出したんです。

だから言いたいことは何度言ったっていいんですよ。伝えたいことは何度書いたっていいんですよ。自分の記憶ですら曖昧なんですから、他人の記憶に焼き付けるには相当量の発信をする必要があるわけです。

そんなわけで、ブログに書くネタが切れそうになったら昔書いたことを掘り起こして、切り口を変えて公開していこうと思います。ナイス、ネタ切れ対策☆
 
 
 

そういえばこの記事のURLをblindnessにしたんですが、以前にも同じURLを指定していて、ブログのシステムが自動的に別URLを付与してくれてました。そもそも自分の記憶力がポンコツなんだという噂も否定できません。

そうそう、参考までにウルユスの豆知識も置いておきます。

江戸時代の不思議な名前の薬「ウルユス」

大阪くらしの今昔館