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コンテンツなんて湧き水みたいなもの、誰がどのタイミングですくい上げるかだけの差

2019/08/27

先日、トムさん主催のコンテンツ戦略研究会というセミナーで「コミュニティ」について喋ってきまして。

で、使ったスライドなんですが、以前に僕の運営するコミュニティ「ギガ盛りブログ飯」内の特典セミナー(2時間)で使ったものをベースに、更に事例を追加して、それを30分で話すという、どう考えても時間が足りない量の資料を持ち込んでしまいまして。

なので、参加者全員にスライドはプレゼントするって最初に言ったんですけど(主催のトムさんからもらってない人は言ってください)、なんで全部プレゼントするのかという説明に「コンテンツなんて湧き水みたいなもの、誰がどのタイミングですくい上げるかだけの差」という言葉を使いました。

この言葉、自分的にはかなり腑に落ちたフレーズなのですが、イメージしづらい人も多いと思うので、ブログで補足説明することにしました。

 

以前、このブログ記事でもコンテンツのパクリについて触れているんですけど、僕自身はパクられようが何されようが気にしないタイプなんです。

そもそも僕は、コンテンツは無料化していくものだと思っています。

 

注)「じゃあ、今までのセミナーも全部無料で公開すればいいじゃん」と感じる方もいらっしゃると思うので、なぜ参加者のみ配布なのかの補足説明をすると、お金を払って参加してくれている人のメリットを守りたいからです。WordCampなど、参加費無料のセミナーは余裕で公開してます。

 

僕は最近、「コンテンツなんて、いま、このタイミングで集団的知性から借りてきたもの」だと感じるようになってきました。コンテンツは、もとから世界の中に存在する共有財産で、必要なタイミングで誰かが気づき、誰かによって形作られるものなんです。

自分だけが思いついた、自分がオリジナルだなんて考えはうぬぼれだと思っています。湧き水をすくいながら、「この水源は全部自分のもの」だなんて思う人はいないでしょう(たぶん)。

さらに最近思い始めたのは、「コンテンツもシェアリングエコノミーの一種」だということです。カーシェアやシェアハウスと一緒です。単なる一時所有という気持ちでいれば、変な独占欲も生まれません。

 

先述のトムさんがセミナー時に言っていたことがあります。それは「現代人が1日に触れる情報量は、平安時代の一生分」だという話です。「江戸時代の1年分」だという説もあります。

この説、ネットで検索するといろんな所で散見されるものの、出典がわからないので都市伝説的なものかもしれません。とはいえ平安時代に比べて、現代はコンテンツが溢れかえっているのは間違いないでしょう。こんこんと潤沢に水は湧いているわけです。

同様に自分がオリジナルだと信じているコンテンツだって、どこかの誰かが、いろんなタイミングで、同じようなことを言ってるんですよ。俺が考えた、思いついただなんて主張するの恥ずかしくないですか?

 

旧来、漫画も週刊誌やコミックを買って読むものでした。それがRentaなどのアプリで無料で読めるようになりました。とかいいつつ、昔から立ち読みという最強の無料ツールはあるのですが、コンテンツはお金を払わなくても入手できる時代に突入しているのです。

ではコンテンツが無料化していくのであれば、価値はどこで生み出せば良いのでしょうか。

僕が持っている答えは2つで、1つ目が「誰がどのタイミングで使っているのかというコンテキスト(文脈)」、2つ目が「どのコミュニティ(場)で使っているのか」。この 2つの要素が存在することで、受け取り手が価値を感じてくれるわけです。

コンテキストの共有ができていれば、「あなたから買いたい」「あなたから学びたい」という人が周りに集まってきます。

参考)買う理由の提供とコンテキストの共有

同じ方向性を向いている仲間が集っているコミュニティがあれば、求められているであろうコンテンツを提供することで価値を生み出すことができます。

参考)コミュニティ2.0 ~長く続けられるスクール型オンラインコミュニティの始め方~

 

とまぁ、長々と書いてきたんですが何を伝えたいかと言うと、単発コンテンツをひたすら出し続けるのは大変だからコミュニティ作ろうぜってことです。近いうちに、コミュニティ2.0セミナーのブラッシュアップ完全版やります。